2011年6月16日〜31日
6月16日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 伯爵が帰って来る、と連絡があった。

 伯爵が帰れば、おれは寝室に呼ばれる。犬に戻り、朝まで伯爵に抱かれる。

 ヒロはひとりで寝る。昼はCFに入り浸りになり、ドムスにいる時間を減らそうとする。食事も自分の部屋でとる。

 彼は伯爵の犬ではなく、おれのコンパニオンだからだ。ヒロはそのことは何も言わない。

 ただ、ため息が多くなる。
 おれはおれで、それに気づかないふりをしている。この心地よさをすまなく思いながら。


6月17日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 おれは自分の背信に気づいている。

 ヒロはおれを愛している。
 おれはふだんそれにもたれている。

 好き勝手にふるまい、機嫌をとらせ、甘ったれている。彼の愛情を食べ、人形みたいに抱きしめて眠っている。

 だが、伯爵が戻れば、彼を省みない。
 伯爵に服従するのは別次元の快楽だ。

 伯爵はおれを引きづりまわし、麻痺させ、別の生き物に変えてしまう。おれという個性は徹底的に破壊される。無になる快楽だ。

 ヒロの愛情を食べつつ、おれはこの快楽を愛していた。
 あの日までは。


6月18日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 伯爵が明日に帰るという日だった。CFで泳いだ後、ヒロが頭痛がするといって先に帰った。

 おれは整体に寄って、マッサージを受けた。その後、少し買い物をして遅くなった。

 その日は邸に使用人がいなかった。おれは買い物袋を持って、キッチンに向かい、あえぎ声に気づいた。

「ア、いいッ、どうか。ど――ヒッ、勘弁してくだ、さい」

 おれは阿呆のように立ち尽くした。

 ヒロがキッチンの作業台を掴み、小娘のように喘いでいる。その尻を伯爵がゆさゆさと犯していた。


6月19日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 ふたりはおれに気づいた。伯爵は、おや、と言ったように眉をあげた。

 ヒロのほうはもっとわかりやすい。
 目を見開き、顔から血の気をひかせ、なにごとか言おうと口を開けた。
 が、声が出ない。彼は隠れるように腕で顔を覆った。

 おれはおれで思いがけない事態に、どうしていいかわからなかった。しかるべき怒りすら湧いてこない。

「いつから」

「さてな」

 伯爵は開き直って答えた。

「遊びだ。すぐ返してやるさ」

 その間も腰を揺すっている。おれはようやく怒りを覚えた。

「返さなくていい」


6月20日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕

 しくじった。
 マキシムにバレてしまった。

 あれきり奴はおれを見ない。口もきかない。体全体の空気が氷の彫像みたいに冷たい。
 ホントに参った! 

 べつにおれも伯爵もマキシムを裏切るつもりなんか毛頭ないのだ。断じて浮気なんかじゃない。

 ただ、男だ。ふたりともホモだ。かたほうはフランス人だ。もう、しょうがないんだ、これは。

「まいったね」

 伯爵も肩をすくめて言った。

「きみのことを売り戻せとさ。自分の話し相手には身持ちのいい子がいいだって」


6月21日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕

 地下に戻されるかもしれない。
 マキシムの怒りの深さにおれは暗澹とした。

 伯爵は、

「機嫌をとっておいてくれ。でないと、本当に別の犬に代えなきゃならない」

 と言い残し、さっさとフランスに帰ってしまった。

 散らかし放題散らかして、おれにそれの収拾をつけろという。さすがお殿様。

「マキシム」

おれはドアの前でわめいた。

「おれに拒否権があったと思うか。無理やりなんだよ。むこうだって、ただのつまみ喰いで」

 二度、とはじめて答えが帰ってきた。

「二度もつまみ喰いする必要あるのか!」


6月22日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕

 おれはうめいた。伯爵はゲロしたらしい。

 最初のやつはたしかに偶然で、事故といえた。ワイン倉でむこうがいきなり発情してきたのだ。

 こっちもワン公だし、イヤヨったって聞いてもらえない。しかたなかった。
 だが、やつはそれで隠れてヤるのに味をしめてしまった。
 今回はわざと一日帰国をずらし、おれに待っているように指示した。確信犯だ。

 マキシムは言った。

「主人が勝手にふるまうのをとめるわけにはいかない。が、侮辱されて放っておくバカもないだろう。きみには出て行ってもらう」


6月23日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 あれからずっと、おれは炭のように赤く焼け続けている。

 ヒロも伯爵もただの遊びだ、と何でもなかったことのように言う。こだわるおれのほうがバカだといわんばかりだ。

 だが、あのキッチンの光景――。
 作業台にしがみついて嬌声をあげ、腰を振っていたヒロ。鼻息荒く腰をふりたてていた伯爵の姿を思うと、言葉も道理も吹っ飛んで、赤黒い感情だけがはらにとぐろを巻く。

 ふたりは隠れて楽しんでいた。隠れて、おれを愚弄していたというわけだ。どうしてゆるせる?


6月24日 直人 〔わんごはん〕

 今日はヒロに山菜いなりのお弁当を作ってやりました。

 彼はマキシムと仲違いしたらしく、ひどく落ち込んでしまっています。

「もう、この直人の飯も食えなくなるかもな」

 山菜いなりを頬張りながら、ヒロは涙ぐんでいました。

「二度と地下には戻らないと思っていたのによ」

「大丈夫だよ」

 ぼくは魔法瓶のほうじ茶を淹れてやりました。

「マキシムはそんな単純じゃないよ」

「単純、ドライ、辛口」

 ビールの宣伝のようにつぶやいて、ヒロは洟をすすりました。

「きっと次は殺処分だ。今までありがとな」


6月25日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 家にいると、むしょうに暴力的な気分になってくる。

 ウォッカでも浴びるように飲んで、三ヶ月ぐらい冬眠したいところだが、そういうわけにいかない。

 CFでむやみに走り、泳ぎ、ジムで筋肉の騒ぎを鎮めるしかない。
 そんな興奮もあって、つい直人と喧嘩してしまった。
 彼は言うのだ。

「きみは伯爵ともヒロとも寝ているのに、ヒロにはそれが許せない、地下へ送るってのはひどくないか」

 おれは激怒した。おれとヒロでは立場が違う。いつから平等主義がベッドにまで進入してきたのだ。


6月26日 直人 〔わんごはん〕

 今日は料理を作る気分になれません。

 ご主人様にヴィラの料亭に連れてっていただきました。

「なんだ、落ち込んで」

 ぼくはマキシムとの口論を白状しました。
 ご主人様は笑って、

「他人の痴話喧嘩に口を出すなんざ、野暮もいいとこだな」

「痴話喧嘩とはいえ、命がかかってますからね」

 ぼくは尋ねました。

「怒りを解く妙法がありますか」

「さあな」ご主人様は苦笑いして、

「怒られるのも男冥利につきるってもんよ。おれを見な。おまえんとこで来るったって、かあちゃん、なんもいいやしねえ」


6月27日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 直人の言葉に、おれはずっと逆上し続けている。

 おれとヒロは平等ではない。
 伯爵はおれを選んで購ったが、ヒロはおれが選んだ。

 ヒロは、おれがリンチされていた時に飛び込んできて、それがもとで買い手をうしなった。
 もうすぐ殺処分だと聞いたから、哀れになった。それで伯爵に買ってもらった。

 おれはやつを助けた。しかし、やつは裏切り、おれの主人に手をだした。

 なぜ、おれとヒロが主人を分け合わねばならないのか。理屈にあわない。そんなことのために助けたわけではない。


6月28日 マキシム 〔クリスマスブルー〕 

 ひとり議論はいつも、おれの勝ちだ。
 だが、なぜかそこで終わらず、ぐるぐる繰り返される。火が燃えるものを探して、ずっと駆け巡っている感じだ。

 CFで、ひとが話をするのを聞いても腹がたつ。

「地下の連中は、女みたいに鳴きやがんのな。ケツふりまくってさ。地下のやつってのは、モトからカマだったんじゃねえか」

「そうしねえと買ってもらえないからだよ。買われなきゃ死ぬだけだ。媚だって必死になるさ」

 そんな言葉になぜかひどく腹がたつ。そんな言葉であれは正当化できない。


6月29日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕

 マキシムの勘気はまだ解けない。

 アクトーレスのジョニーに相談したが、人生相談の先生でなし、彼にもいい方法があるわけがなかった。

「なんとかして、戻ってくることだけは絶対避けろ」

 それは方法ではなく、目的だ。

「せめて、ほとぼりが冷めるまでセルに戻るってことはできない?」

 伯爵の依頼がなければダメらしい。
 少し離れれば、頭も冷えて、事態をありのままに考えられると思うのだが。

 彼はずっと激怒しっぱなしだ。目の前でおれの間抜け面を見るだけで腹がたつようだ。


6月30日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕

 昨夜ヒロがドアの外で言った。

「そんなに腹がたつなら、おれを捨てていいぜ。地下に戻るよ。おまえといられて幸せだったよ」

 おれはまたカッとなった。

「きみを捨てる捨てないはおれが決めることだ! おれに指図するな」

 ヒロを捨てられないことはわかっている。それは間接的に彼を殺すことだ。
 結局、おれが怒りをおさめなければならないのだ。

 ヒロの言い分はおそらく正しい。伯爵は気まぐれで、彼をつまみ喰いした。ヒロは抵抗できない。

 だが、それをわかってもおれの気持ちは戻らない。


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